お前ならきっと望んだ数だけな

僕が、美装屋さんでバイトをしていた頃の話だ。

美装というのは、清掃屋さんのもうちょっと専門的なやつである。

何かしら大きな施設や建物を作ったり、改装した際に、最後の方の工程で床にワックスをかけたり、定期的にマンションの窓の外側を綺麗にしたりするお仕事だ。

とはいえ、線引きは難しく、美装屋だけど、普通に清掃だけの仕事もする。

万が一興味がある人は検索してみてください。ビルの床を先っちょにカーリングのやつみたいなのを付けた機械で床をゆっくり磨いてるやつ。あれだ。

まあ、そんな感じのバイトで、ある日の夜。

集合場所から車で小一時間ほど揺られて着いた先は、大型スーパー。そして、そのバックヤードにあるキッチンだった。揚げ物の。

今日の仕事は朝までに、このキッチンをペカペカにすることだ。ピカピカではなくて、そのちょっと下のペカペカである。

なぜかと言うとある程度以上年季の入ったキッチンは、1日程度ではピカピカにはならないのだ。

もちろん、2日3日頂ければ、ピッカピカのピカピカにする事は可能なのだろうが、スーパーなんてものは、最近は正月くらいは休みがあるが、当時は基本的には365日開けていたのだ。キッチン掃除の為に、今日はお惣菜無しです。はあり得ない。

それに、2、3日かけてピカピカにしても、どうせすぐにドロドロになるので、1日でペカペカくらいまで綺麗にすれば十分なのである。

そんなキッチン掃除が深夜から始まり、中盤くらいにフライヤーの外側のステンレス部分を拭いていた時の事だ。

油が固まったやつを取りたいのだが、ステンの部分は傷が付きやすいので、手とタオルでひたすらこそいだり、拭いたりして綺麗にしていく。

腕をパンパンにしながら、頑張ってあとは綺麗に拭きあげるだけだが、細かい油のかけらやなんやが邪魔をして、なかなかツルツルにならない。

もう、腕はとっくに限界にきてたが、サボると怖いので限界を超えて頑張っていたが、キリがないことに耐えられなくなり、先輩に「すいません、ちょっとこれ、これ以上綺麗にできないです」とヘルプを出した。

すると、先輩は「いや、できるよ」と言いながら、僕の手からタオルをとり、おもむろに僕の代わりにその箇所を拭きだした。

「え、どうするんですか」

特に何かテクニックを使うわけでもなく、先ほどまでの僕と同じように手で拭きあげる先輩に疑問をぶつけた。

「簡単やで。綺麗になるまで拭き続けたらええだけやから」

僕は、ちょっと年下の元ヤンであろう、その美装の先輩のこの言葉を金言の一つにしている。

いや、もっと洗剤や何かしらのグッズを使って効率的にしたらいいやん、という話ではない。それはそれで、別ラインの話である。

生きていれば、どんな場面でも壁、障害、困難、などなど、言い方は異なれど、要するにクリアしなければならない何かが現れる。

そんな時、僕らはどうすべきか。

やり方を工夫する、できる人を雇う、効率的なトレーニングをする。

クリアの仕方は様々であるが、根底にあるのは、先輩の言葉ではないだろうか。

『出来るまでやればいいだけ』

である。

大事なところは「出来るまでやれ」ではなく「出来るまでやればいい『だけ』」である。

この『だけ』のさりげなさが、その問題に対する悲壮感をなくした上で、乗り越えられる気にしてくれるのである。

もちろん、例えば後輩が先輩である貴方に何かしらヘルプを求めて来た時には「出来るまでやればいいだけ」と言うだけではなく、後輩の手からおもむろにタオルを取ってから「出来るまでやればいいだけ」と言わなければならない。

行動が伴わない上長や先輩の発破はカスである。身に覚えがある人いるだろう。

類似の言葉に、秋葉 流の「逃げるさ…危なくなったらな」がある。



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